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2006年9月18日 (月)

小さな成功体験を積み重ねるー2

中学3年の子供が学校から、進路相談の資料として、漫画家のやなせさんの文章をもらってきていました。改めてみると、やなせさんは、小さな成功体験を積み重ねてきているんだなと感じました。こういう、人生の歩み方がうらやましく、思えました。

以下に掲載します。

やなせたかしさんの文書

僕は巨匠とか偉大な人物とか、そういう人になりたいとは思いません。

なぜかと言えば、偉くなりすぎると怖がられてしまう。恐ろしい存在になってします。

僕の先輩に、巨匠と言う名前で呼ばれる人がいましたが、「やなせくん、本当のことを言うと、僕はとても寂しい。若い人が僕を敬遠するようになった。仲間として一緒にいたいのに、なんとなく一目置かれている。仕事も軽い仕事は頼みにこない。みんな重量感のある大作ばかりだ。ごく気楽な仕事ができなくなってしまった。」と、話していました。

僕は、雲の人になりたくありません。子供たちから、「アンパンマンのおじさん握手して。」といわれているのが、うれしいのです。

僕は高知県で生まれました。そして、東京高等工芸学校の工芸図案科を卒業して、すぐ兵隊になりました。青春の一番大切なときが兵隊だったから、これはちょっと絵を書くのは無理かもしれないと思いました。焼け野原の日本に帰ってきて、それでもデザインの仕事をはじめ、そのうち漫画家になりました。岡部冬彦とか根本進、加藤芳郎と言った漫画家が大活躍で、その華やかさは目がくらむようでした。

僕は、そこそこ仕事はしていて、食うに困ることはなかったものの、その時代を代表するような作品がありませんでした。

まあ、いくらあせってもだめで、ハハのん気だねというふうでした。ところが、そのうち漫画界に逆風が吹き始め、劇画全盛ということになりました。僕は方向を変えて、まず「やさしいライオン」という絵本を書きました。そして、漫画というよりも、ひとつのメルヘンとして、絵本の中でフェアリーを登場させるようにアンパンマンを書きました。もちろん、こんな作品が、子供に受け入れられようとは思っていませんでした。ところが、不思議なことに、アンパンマンの人気は少しずつ上昇していきました。

僕の友人のように一夜にしてスターという具合ではありませんでした。人気があるといっても、なんだか他人事のような気がしています。生活は少しも変わりません。カミ産にもらう小遣いも同じです。朝から晩まで仕事をしています。もし仕事がなかったら、僕は生きる希望を失ったと思います。

そして、うれしいことに、売り出すものがものすごく遅れたために、僕はまだ、新人でいられます。ごく小さなカットとか、カルタの絵とかすごろくまで書いています。

もし、僕が成功者だとすれば、世間並みの成功をしなかったことです。そして、この世界では僕はまだ、新人に過ぎません。でも、それは僕が選んだ道で、僕はそういう人になりたいと望んだのだから仕方ありません。アンパンマンにも、そういうところがあります。自分の顔を食べさせて人を助けるという仕事を続けています。戦う相手はバイキンマン。バイキンは食品の敵です。しかし、実はパンを作るのもイースト菌なんです。戦いながらアンパンマンとバイキンマンは、共存しています。

僕らの心には、善と悪があります。善と悪は戦いながら、共存しています。そのことを僕は、ストーリーの中に入れたかったのです。どこへ行っても、僕は今ではアンパンマンのおじさんと、子供たちに言われます。それは気恥ずかしいことでもあり、うれしいことでもあります。

今でも絵本を書き続けています。

毎日毎晩せっせとかいています。

歌も作ります。

絵も書きます。

ありがとう!神様。

よくも僕にぴったりの仕事をくださいましたね。僕はそのことを感謝しています。

残された時間を一生懸命に生きられればそれでいい。もし生まれ変わっても、今と同じ仕事がしたい。

以上

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