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2008年6月13日 (金)

なんぴー広報誌

今年も、なんぴーで広報部になってしまいました。昨年のように、のこっているところでいいやと思っていましたが、副会長〔専門部の部長〕を決めるときに、香長中学校校区で一人決めるのですが、私の席が他の3人から、離れていたため、策略にはまり、副会長→専門部部長となり、これまた、行きががり上、広報部長となりました。

来月の始めに、本年度の1号を発行します。以下の文は、私が書いた文です。新しく恩師シリーズというのを始めたいと思います。

ブンポウ先生〔恩師シリーズその1

稲生小PTCA会長 前田学浩

その先生は、生徒の皆なから「ブンポウ先生」と呼ばれていた。私が通っていた、今から33年前の香長中学校の美術と習字の先生である。柔道の副顧問もされていた、男子のみの部であったが、私が入学する前年には全国大会にも出場するほどであった。

さて、そのブンポウ先生であるが、なぜ、「ブンポウ」と呼ばれていたかは、いまだに分からない。生徒の皆ながブンポウ先生と親しみをこめて呼んでいた。ブンポウ先生は、書道家で「あのブンポウの字は、1文字何万円もするがぞー。香長は隠れ財産をいっぱいもっちゅう」と当時の先輩のうわさを、多くの生徒が信じていた。

ブンポウ先生は、そういうミステリアスな部分、いや破天荒な部分をもっていた。これから先は、私が実際に体験したから事実の話である。それは、美術の時間の途中に、何を思い出したのか「十市の子どもは居るか、ニラを持ってきてくれ。あれは血液に、しょうえいき。」教室の皆なは唖然である。一番思い出深いのは次のこと。私が1年生最初の中間試験のとき、社会のテストの監視官がブンポウ先生であった。ブンポウ先生は、柔道着姿でやってきて、手には、柔道の帯を持っていた。私たちがテストを受けている間、その帯を使って、体操を始めた。生徒たちがくすくすと笑っていたのを感じたのか、今度は、その帯を自ら首に巻き、苦しむという一人芝居を始めたのだ。なんという先生かと思った。そして、私がテスト内容に疑問があり「先生、ちょっとここの問題の意味がわかりませんが」と聞くと、なんとブンポウ先生は「どうせ、分からんくせに、おいちょけ」と言ったのだ。 ポカーーーーン。

そのブンポウ先生から、一つだけ良い事を習った事がある。それは「君らが、何か緊張している時とか、腹が立った時、そういう時は大の字に寝転がって、大きな深呼吸を10回しなさい」と教えていただいた。私は今年45歳になったが、何回もこの対処法で助けてもらった。ありがとう、ブンポウ先生。

そのブンポウ先生の苗字は「竹内」。現・稲生小学校校長の竹内先生の親父さんなのである。竹内校長先生は、実にスマートな方であるが、校長室で、裸足でいるところをたまにみると、やっぱりブンポウ先生の血を引いてるのだなと思う。  以上

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