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2008年12月15日 (月)

なんぴー広報誌・原稿・我が恩師シリーズその2

なんぴー広報誌の原稿ができましたので、ログします。

我が恩師シリーズ その2 モンタ先生

                       稲生小PTCA会長 前田学浩

 モンタ先生とは、現在・南国市教育委員長の門田道宏先生である。もちろん苗字は『カドタ』であるが、私が通っていた当時の香長中の生徒は、失礼ながら『モンタ』と生徒同士の中で、そう呼んでいた。

モンタ先生は、私の1年次の担任で、入学式の後のホームルームで、『私は、カドタミチヒロといいますが、このクラスには、私と同じ名前の人がいます。前田君です。』と言ってくださった。そんなに多い名前ではないので、自然に親近感を持つことができた。

ただし、私と入れ替えで卒業した近所の高校生から、“モンタは、こわいぞ”と教えてもらっていたので、4月中は、緊張の連続であった。しかし、ある日、緊張が緩んだ。それは私の班の男子が掃除をさぼり、モンタ先生から、『もってのほかぞ!』と大目玉を食らって(いや、いただき)放課後、正座をさせられる事があった(反省と言う事)。30分くらい経ったであろうか、モンタ先生がやってきて、もう一度注意を受け、解散となった。そのとき、『前田、クラブやりやぁせんろうが、サッカーへ来い』と言葉をかけてくださった。

少し脱線するが、モンタ先生の恐かった思い出(友人が遭遇)を1つだけ紹介する。2年のとき、ちょうど矢沢永吉がソロ活動を始め、例のE.YAZAWAのマークを使い出したとき、その友人は、買ったばかりの上履きに2晩かかって、サイド一杯にマークを描ききった。当然、翌朝、永吉・矢沢になって教室に入ってきたが、1時間後、モンタ先生に『もってのほかぞ!』と没収。私は、今もE.YAZAWAのタオルが跳ぶ映像を見るたびに、その友人の悲しい顔を思い出す。

話をサッカーに戻すが、当時の香長中は、北稜中と常に優勝を争っている学校であった。練習も当然まじめにやっていた、モンタ先生がいるときは。先生が研修会などで、練習に来るのが遅くなると、楽しみながらやっていたが、先生の車が見えると誰からともなく、『モンタが、もんたぞ!!』とお決まりの声で練習は、締まった。

私たちが3年に上がるとき、モンタ先生は移動となった。サッカー部が集められ、モンタ先生は『この年代ほど、揃ったチームはない。頑張ってやれ』と話された。新人戦で優勝していた私たちのチームは、先生の言うとおり、4つの大会すべて優勝し、1年間で2点の失点しかないと言う結果を出した。ありがとう。モンタ先生。サッカーを今だにプレーできているのは先生のお蔭です。

香長中サッカー部については、どうしても付記しておかないといけないことがある。卒業後、中学校によると皆が坊主頭になっていた。聞くと『みちひろ君らが、部室においていたファンタのビンが見つかり、顧問に怒られてこうなった』と。顧問を聞くと『前の北稜の先生』なにっ、あの真っ黒の先生か。『そう、ほんで怒ったら、赤が混じって鬼みたいになるがで』。良かった、早よう卒業して・・・・・。

最後に、昭和38年生れ以降の香長中サッカー部の皆さんに、我が恩師シリーズ『泣いた赤鬼』の原稿を求めます。

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