« 学校支援地域本部事業-165 | トップページ | 長女とサッカー2009・12・7 »

2009年12月 6日 (日)

いい気分です。

カッパの話を
アカデミックな場で
3度お話ししましたところ、
いい文章を教えてくれました。

「君のやったことは、この文章からいえば、良いことだと」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エスクァイア日本版2009・4月号

特集:もう一度、学校へ行こう。

題名:[アートは無力か? 異界はどうだ?] 著者=福住廉



 現実が厳しい。昨年来の世界的な金融危機を理由として

多くの非正規雇用労働者が一方的に解雇され、今年の正月

には、住む場所を奪われた労働者たちが全国各地から東京

の日比谷公園に集まった。一昔であれば問題の焦点は不当

に過酷な労働条件にあったのに、今では仕事そのものが、

容易に奪われかねないのだ。昨今のアートバブルも、こう

した不安定で流動的な経済原理と同じ論理に基づいていた

せいか、たちまち消え失せてしまったようだ。

 冷静な現実を前にアートはなす術もない。アーティスト

が作りだす妄想の世界は、富裕層の感性を慰めることはあ

っても、貧困を解決する力にはなり得ないし、地域社会を

活性化させるためのアートプロジェクトにしても、一時的

なカンフル剤としては有効だが、抜本的な解決策を提示す

ることはほとんど期待できないだろう。現実が貧しくなれ

ばなるほど、アートへの風当たりはますます強くなるに違

いない。

 しかし、アートが非現実的な妄想の産物だとしてもアー

トの社会的な役割は、まさにそこにある。すぐれたアート

は、現実のありのままを表現するというより現実を見直す

別の視点を提供するからだ。現実とは異なる[異界]を作り

出し、そこから同時代の現実を目指すという精神の働きが

現代アートならではの社会的効果の一つである。

 思えば、そのようにして社会の周縁に異界を設定するこ

とは、私たちの祖先が古くから繰り返してきたことだった。

山婆や鬼などの想像上の異人は、あるときは幸福をもたら

す者として歓待され、あるときは災害を呼ぶ者として排除

される両義的な存在だったが、そのような異人とのやりと

りによって、共同体のアイデンティティが確認されていた

わけだ。今も昔も、私たちは妄想によって現実をよりよく

いきているのである。

 未来へ伝承されるに値する新たな物語は、もしかしたら、

現代アートから生まれるのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


少し、いい気分です。

|

« 学校支援地域本部事業-165 | トップページ | 長女とサッカー2009・12・7 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いい気分です。:

« 学校支援地域本部事業-165 | トップページ | 長女とサッカー2009・12・7 »